Thursday, March 18, 2010

Thomas Gainsborough その6

ゲインズバラは1744年には自分のアトリエ(考えてみるとフランス語が多いようです・・)を持ってました。1746年頃には東ロンドンのHatton Gardenという通りの貸家で、住まい兼アトリエで仕事をしていたようです。この通りは中世から宝石、貴金属、装身具の取引場所として知られてたようで、今も宝石店が道の両側にぎっしり並んでますから、ゲインズバラが住んでいた頃も似たようなものだったろうと想像しています。 

イギリスの良い所は、物事があまり変わらないことで、ゲインズバラが住んでいたHatton Garden 67番地は今もあり、一階には宝石店が入ってます。建物は後のものだと思いますが。

彼はここにすんでいた時期である1776年7月にマーガレット・バア(バー? Margaret Burr)と言う女性と結婚しました。 場所はメイフェア・チャペルと言う、極秘にする必要のあるような結婚の式を司るので悪名の高かった教会です。式を挙げたときマーガレットは既に妊娠していたようです。でも極秘結婚が必要だったのは、マーガレットがある公爵(3rd Duke of Beaufort 1707 – 1745)の私生児であったからとも言われます。

彼と彼の妻は、1748年ゲインズバラの長女マーガレットが亡くなると、翌年生まれ故郷サフォークのサドブリーに帰ります。 これはその後も生まれてくるであろう子供をより良い環境で育てたかったのと、ロンドンでの画家としての成功が難しいと見極めたからだと言われます。

 亡くなった娘は、当時の住まい周辺の地元教会 St Andrew Holborn に埋葬されました。
 ごく当たり前の小さな教会だと思ってましたが、デザインは近所のセントポール大聖堂と同じ建築家クリストファー・レンのようです。

2 comments:

Unknown said...

YOSHDANCEさんの西洋美術に対する博識には驚かされます。ジャポニズムに関して詳しくお聞きしたいのですがよろしいでしょうか?

yoshdance said...

koki さん、

ブログ見てくださって有り難うございます。お返事おそくなりまして申し訳ありません。
このところ本職の方が忙しく、ブログは開けてもみませんでした^^;

ジャポニズムですか。詳しくはありませんが、内容に興味が湧けば、じっくり調べたりも致します。