Wednesday, November 19, 2008

14世紀のスタイル Part6

肘の上から布が垂れ下がっているのが分かると思う。
これは14世紀半ばの特徴。

少し前までは、袖がそのまま長く装飾的だったが、ドレス本体とは別になる。
この当時の袖は、手の甲が隠れる長さだった。

髪は、両サイドの三つ編みをヘアバンドで留めてあるように見える。

ドレスの前中心にポケットがあるようなのが面白い。











14世紀後半。
襟はハイネック、袖はゆったりとした形に変化してゆく。ただし、中に着ているものの袖口は、以前と変わらない。

髪は、額の両脇に角のようなお団子があり、その上から縁飾りのついた一重のヴェイルを被っている。
















下の絵は、14世紀半ばから後半にかけて。
右から二番目の女性だけ、ハイネック。














ハイネック、広く開いた袖口。14世紀終わり頃。

男女とも、襟、袖口から除かせているのは裏張りの毛皮だと思われる。

14世紀のスタイル Part5

靴。ヘタすると、実際の足のサイズの倍の長さの靴もあった。女性はドレスで隠れるのでそんなものは履かなかったが、男性はながーいつま先の形を保つために、鯨の軟骨を入れるほどだった。

そうなると、歩けない。


なので、膝下、ふくらはぎの上に金具付きの鎖を下げておいて、必要な時(つまり歩く時)にはそこに留め付けるようにした。。













時はゴシック時代。建築物が細く高く伸びて行った時代。ファッションにも反映されている。




































バッグにも・・・





年代ははっきりしない。
本体は革。金具の部分は鉄製だが、何か建築物が。











こちらは15世紀のもので金具は上と同様、本体はカット・ベルベット。
より縦長く、ゴシックっぽい?
   

Friday, November 14, 2008

14世紀のスタイル Part4








単純に言ってしまえば装飾品。
1300頃のもの。


メトロポリタン美術館の展示物から。
用途はさまざまで、服に縫い付けたり、手袋やベルトに付けたり、或いはジュエリーとしても使われたかもしれない。
聖職者の法冠だとか、教会関係の装飾品であった可能性もある。。と説明書きにある。



フランス製
中央はエナメル細工。6つの花びら(?)にはそれぞれ宝石が嵌め込んである。
土台は銅に銀メッキらしい。金色に見えるけど。。

当時の技術の高さが見受けられる。








おそらくフランス製
同じく銀メッキで、中央の石の様に見えるのはガラス。














おそらくフランス製
銀メッキの土台に、サファイア。

Wednesday, November 12, 2008

14世紀のスタイル Part3

このくらい古い時代だと、ヴィジュアル資料が大変少ない。手元にある殆どが、石棺の彫刻の写真等で見にくいので、ここには取り合えず載せてないが。。

私が考え付く理由は、1.古すぎて残ってない。2.油絵は発達しておらず、フレスコ画は古くて細部が分からない。3.この当時はまだ宗教画ばかりで、資料として役に立たない。4.端切れすら殆ど残ってない。

左の絵の女性は14世紀前半から中期にかけての見本みたいなものだろうか。

ヴェイルのわきからほんの少し髪の毛が見えている。
14世紀前期頃には結構はしたないことだったので、女性(特に既婚)は髪の毛はすっぽり完全に(おそらく麻布のヴェイル)覆っていた。この絵ではよく分からないが、細いバンドで布を押さえているかもしれない。

ドレスは長袖のぴったりめの物(肘から手首まではおそらくボタンがある)の上から、ジャンパースカート風のをもう一枚。これらアイテムの名称は、国や研究者により一定でないので、取り合えず省いておく。

ここで手袋をはめているのは、おそらく鷹狩りだからだろうか。この時代は裕福な人しか持ってなかった。

左の2つの絵の女性の袖に注目していただきたい。
14世紀頃の絵らしいが、このころ上に重ねるドレスの袖の肘から下が、細長く垂らすかたちになっていった。
斑っぽく見えているのは毛皮を見せている(らしい)。これはこの後、取り外し可能な、長くてより装飾的な物に変化して行く。

中世から18世紀までの欧州は非常に寒かった。そこで裕福な人々の間では毛皮の裏張りが流行ったが、この女性達は、それを見せることによって、富を誇示しているのかもしれない。

もう一つの二人の共通点は、髪型。耳の上で編んだ髪を縦にまとめている。
右の女性はその上に、ヴェイルを留めるためのヘアバンドをしている。

Thursday, November 6, 2008

14世紀のスタイル Part2


ボタンとボタンホールが使われ始めたのは13世紀頃で、14世紀に入り、袖口をフィットさせることで頻繁に使われるようになります。
右の絵は当時としては、かなりモダンに見えます。通常は手首から肘までボタンが連なったものがよく見られます。


この頃の女性のファッションで最も装飾的であったのは、ヘッドドレスだといいます。何枚もの布を重ねて、縁に細かいひだを寄せたものが多く見られます。


ベルトも見られますが、これはウエストを絞って強調すると言うよりも、服が邪魔にならないようにベルトを巻いたとか、ベルトに財布等の紐を通して下げたりする「実用的」なものだった可能性が高いです。大抵は細い紐や鎖のようなもので、フィットさせる為のものではなかったようです。


マントは日常的に用いられていましたが、これは首の前で紐を結ぶのが普通。当然ですが、重みで紐が後ろに引かれ、首が締められて苦しかった。。。
そこで、指で紐を前に引っ張って置くのが普通でした。何とも不自由なものです。左の絵の女性は跪いてますので、赤い紐はゆったりしてますが。

同じく左の絵の女性は、Crespine(クレスピン)と呼ばれたヘアネットで髪をまとめてますが、これは次第に装飾的な宝石を散りばめた様なものに変化してゆきます。


イタリアでは当時の他の国と違い、髪の毛を覆わなくてもよかったので、リボンを髪の毛に巻きつけたようなスタイルも流行ります。

Thursday, October 23, 2008

14世紀のスタイル

前世紀までとの大きな違いは、男性と女性のスタイルがはっきりと違ってきたこと。13世紀までは男女とも、服の長さやスタイルに格別な違いはありませんでしたが、14世紀に入って男性の服は短く、女性のはよりフィットした形へと、急激に変化して行きます。

女性の服は、ウエストから上はぴったりめでデコルテを強調、それに合わせてスカートはボリュームを増します。コルセットが登場するのもこの時代。

14世紀頃の靴は、初めはそれ以前のスタイルのままで、つま先の尖ったものでした(Poulaines)
女性は足首までのブーツタイプの紐靴で、冬には内側に毛皮を使ったもの。靴底はかかとの全くない、基本的にはフラットな一枚革です。なので外出の際は、木製のPattenと呼ばれた、下駄のようなものを靴の上から履いてました。これは革、あるいは布製の靴を、泥で汚れないように保護するために使われ始めましたが、その後何世紀も使われ続けます。

髪の毛はきれいにあげて、ヴェイルで覆ってしまうのが一般的でした。この当時のスタイルは、現在の修道女のものと同じと考えてよいでしょう。
初めは二つの布を使って頭から首や顎までを被い、ピンで留めてましたが、次第に一枚の布で被うスタイルに変化していきます。この布はWimple(ウィンプル)と呼ばれました。

14世紀後半になると、絹のコイフ(Coif)やビーズを編み込んだネットを被り、さらにヴェイルで頭全体を被うようになります。
左の絵は、(時代はちょっと後ですが)非常に良い例でしょう。髪を二つに分けて三つ編みにし、ワイヤの台に巻きつけて高さを出します。その上にビーズのネットを被せ、さらにヴェイルで全体を覆っています。

Tuesday, October 21, 2008

pomander

ポマンダーってご存知だと思います。現在よく見かけるのは、丸のままのオレンジにクローブを差したもの。
元を辿れば、中世後期から17世紀まで使われた、いわば「匂い袋」でした。

左の写真は、17世紀ドイツのものとそっくりなので、これもドイツ製かも。オレンジを割った形のイメージで、一つ一つに小さいつまみの付いたスライド式の蓋が付いており、違う種類の匂いを持ち運べるようになってます。

中世から近世にかけてのヨーロッパ人は、お風呂にも入らないし、道は汚物だらけ、当然どこへ行っても臭かったわけです。それを緩和するために発明されたのがこれ。そういった意味では日本の匂袋の比ではありません。必須の携帯品だったと思います。

部屋に置くタイプもありましたが、ペンダントとして首から下げたり、絵のようにウエストから下げたりして使います。

人気のあった匂いに、オレンジの花があります。前に紹介した本"Powder and Paint"によると、イギリスではスペイン製のオレンジの香油が非常に人気が高く、輸入も盛んに行われていました。当然税金も高かったようです。

匂いを持ち運ぶと上に書きましたが、中には実際に、龍涎香(りゅうぜんこう)の元であるマッコウクジラの欠片や、ジャコウの欠片などを入れたりしていたようです。非常に贅沢な装飾品でした。

Monday, October 13, 2008

まだまだカツラ談義













(image from The Picture Collection, NY Public Library)

カツラが使われ始めたそもそもは、まあ今と同じで何となく薄くなった部分を隠したりするためでしたが、なぜここまで流行したかについては実は昨日まで知りませんでした。

もう何年も前に購入した(でもロクに読まない)、 "20,000 Years of Fashion" (著者:Boucher)と言う本によると、1633年頃にルイ13世が病気で脱毛してしまった事がキッカケとのこと。これは著者がフランス人ですし、信憑性はあるかと思います(少なくとも私が今まで見た中では一番信頼できます)。

ルイ14世は初めは、せっかくのフサフサの地毛を剃ってしまうのが嫌で、カツラは被らないか、被っても地毛そっくりのものばかりだったようです。ついに頭を剃ってしまい、カツラに徹することにしたのが1672年、父親(13世)が死んでほぼ30年、彼自身が33~4歳の時でした。

余談になりますが、昔の人は髪を洗わなかった。これは汚いことのように思えますが、実はそうではなく、髪の毛自体に一種の浄化能力(?)があり、現在私たちが思うほど汚くはなかったと言う人がいます。

とあるイギリスの科学の先生が、実際に髪を洗わない実験(?)をしてみたそうです。
洗わなくなった当初は気持悪くてたまらなく、2週間程でもつれてぐしゃぐしゃになった。ところがそれを過ぎると、髪の毛自体が持つ油分のせいで艶が出て、非常に良い具合になったとのこと。

「猫がお風呂にはいらなくてもいいのと同じだよ」・・と言いますが、舐める代わりに、毎日きちんと櫛を通せば、何ら問題はなかったといいます。つまりは、髪を洗うことがこの自然の浄化能力を奪ってしまい、またすぐに洗わなければならなくなる、悪循環に陥るようです。

Wednesday, October 8, 2008

さらにカツラについて〜パウダー〜

何故かカツラから始めてしまったブログなので、取り合えずもう少し。

パウダーについてです。髪粉と呼ばれるようですね、日本語では、スターチが使われましたが、安いものには小麦粉が混ぜられてました。流行に至る理由は、当時ブロンドが流行ったが、ブリーチが上手くいかなかったからだとか。

ほとんどの場合が白い粉でしたが、淡い色付き(ブルー、ピンク、パープル、イエロー)の他、黒もあったようです。匂いはラベンダー、オレンジ、匂い菖蒲の根など。

当然粉だらけになるので、服をカバーする必要があったのはともかく、ちょっと使わないで放っておいたカツラが、鼠の巣になるなんて事も。。

当時のカツラの利点に、シラミの駆除があったにもかかわらず(取り合えず短髪の地肌は痒くならない)、鼠を寄せ付けるのでは意味がない、ということで初めっから白髪のカツラが作られるようにもなります。
或いは面倒を省くため、18世紀も後半になるとカツラ自体あっさりした形に変化しますが、長髪の地毛にパウダーを使う男性も現れました。

カツラそのものが廃れたフランス革命後も、髪粉を使う人は19世紀前半までいました。多くは年配の人だったようなので、前世紀の習慣を変えようとしなかった人たちでしょう。

当時のカツラの為の髪は、女性なら地毛を十分に伸ばしておいて、それをカツラに使う事もありましたが、各地、各国への買出しも頻繁に行われました。

Saturday, October 4, 2008

Powder and Paint : A History of the Englishwoman's Toilet (by Neville Williams)


"Toilet" はトイレじゃなくって、「化粧」「身じたく」のこと(フランス語でトワレ。例) オード・トワレ)。ちょっとクラシックな言い方です。

例えばアガサ・クリスティーのポアロが「身支度をする」というような意味で使ったり、1930年代頃にはまだこの意味で使われていたようです。

写真は1957年にロンドンで出版され、再版されることなく絶版になった本 。New York Public Libraryからの借りものです。

タイトル通り、イギリスのエリザベス1世から1957年までの化粧の変遷について書かれてますが、面白いので内容について、おいおい語っていきたいと思ってます。

Wednesday, October 1, 2008

カツラについて


periwig (ペリウィグ)と呼ばれるものです。

使われ始めたのは16世紀でしょうか。よく見るエリザベス一世の肖像画の赤毛は実はカツラです。彼女はおしゃれでした。

着用が一般的になり始めたのは17世紀初めから中頃でしょう。髪が薄くなって来た男性が、見た目を良くするために使い始めましたが、当時は今のような洗髪の習慣がなく、毛じらみが大変だったので、衛生的でもあり徐々に広まっていきました。

これを公式に宮廷の服装の一部と定めたのがフランスのルイ14世です。フランスは当時ヨーロッパ文化の中心でしたので、この「人前ではカツラ必須」は他の国へも一気に広まっていきます。

当時のカツラのスタイルは、ルイ14世やバッハの肖像画に見られるように、クルクル長くてボリュームのあるものでした。地毛は剃るか、短くするか。ロンドンのNational Portrait Galleryにたしか当時の男性の肖像画で、カツラ無し、短髪のものがあります。かなりプライベートな、人前には出さない姿なので、画家と親しかったとか、自室に飾るためのものだったたとか想像出来ます。

素材は人毛がもちろん一番ですが、それだとお値段もバカ高くなるので、貧乏だけれども貴族としての体面は保たなければならないような人の為に(笑?)馬やヤギの毛で作られたものもありました。
髪粉(パウダー)はスターチなどの粉が使われていたので、気を付けないと鼠の絶好のすみかになりました。

18世紀に入ると男性のスタイル(アマデウスは良い例です)はもっとシンプルになりますが、女性も使用し始めます。が、フランス革命後に廃止に向かいました。パウダー(ラベンダーなどの匂い付きや、ピンクやブルーの色付きもあった)を多用したりして、贅沢な生活の絶頂期のものでしたから。

化粧室のことを「パウダールーム」と呼ぶのは、このパウダーから来ています。