Friday, July 31, 2009

ハイヒール

ルイ14世はパリを、ひいてはフランスを、かなり意図的に文化の中心に作り上げようとした人物です。様々な新しい事を始めた人ですが、そのひとつが靴。たかが靴、とは言えません。おしゃれな靴が大好きで、自慢の脚線美も含めてみせびらかす事を目的に靴を選んだようです。靴が初めてファッションアイテムになりました。

17世紀に入り、それまで勢威をふるっていたスペインとイタリアに代わって、フランスとオランダが欧州の政治、文化の中心になります。さらに、ファッションに関しては、それまで普通だった国ごとの傾向や好みがやや薄れ、グローバル化が進んだ時代と言えるでしょうか。

昔は日本もそうでしたが、贅沢禁止令が厳しく、階級によって衣類に対する規制は厳しかった。これは逆に言えば支配階級が富と権力を誇示するのに、”おしゃ れ”は非常に有効な手段だったのです。しかしこれに単なる権力誇示以上の意味合いを持たせ、ファッションをファッションとして独立させるきっかけを作っ たのが、さほど大げさでもなくルイ14世。彼が政治力に長けていただけでなく、派手好きパーティー好き、人々の注目を浴びるのが好きな王様だったために、 影響力も前例を見ないほど大きく、それが(当時の社会構成の変化も重要な一要因ですが)階級や国境を越えるほどだったわけです。

ルイ14世がなぜハイヒールを好んだのか、本当のところは分かりませんが(背が低かったからと言う説と、長身をより高く見せたかったからという説がある(笑)私に言わせると、自慢の脚を長く綺麗に見せるため)、とにかくヒールが大好きでした。

コチニールという赤色(カーマイン)の染料があります。これはエンジムシと呼ばれる、ある特殊なサボテンに寄生する虫から取れる染料で、当時の産地はメキシコのオクサカ地方に限られており、大変に高価な染料でした。それで染めたヒールは以前からあったのですが、ルイ14世はこれを大流行させます。

1659年、公用でボルドー地方へ出かけたルイ14世は、地元の靴職人に一足の靴をプレゼントされます。職人の名はニコラス・レスタージュ。地元では20人ほどの従業員を雇う大きな靴屋を営んでおり、既にその道での地位を確立していました。そのレスタージュが国王のために作ったといわれる靴は、どうやら『ロイヤルブルーに百合の紋章をあしらったパンプスで内側は蜂蜜色のタフタ』らしいのですが、彼を取り巻く逸話は伝説みを帯びすぎており、はっきりしません。が、とにかく王様には大変に気に入ってもらえます。

どのくらい気に入ってもらえたかと言うと、ルイ14世は翌年の自分の結婚式の時にこの靴を履き、当日は迎える花嫁の事と、履いている靴の事で頭がいっぱいだったと言われるほど。ちなみに結婚式の様子を描いた絵画がありますが、靴はロイヤルブルーには見えません。

レスタージュはその後も、他の職人には真似の出来ない靴(ブーツ)をルイ14世の為に作ったりし、ついに貴族の称号まで与えられます。国王から与えられた彼の紋章は、ブーツの上に王冠をあしらったもの。しかしパリの靴屋からは大変妬まれた様で、基本的にはボルドーの地元で過ごしたようです。何しろ彼の功績を讃えて、100ページに及ぶ詩集まで編纂されたほどですから。

一際目立つ赤色をあしらった靴などが流行すれば当然ですが、靴がファッションアイテムとして注目され始め、次第に服とのコーディネートも重要視され始めました。さらに、革よりも布の方が色、質などの種類が多く応用が効くために多用され始めます。

ひとつ靴作りでこの時代に変わったことは、ローマ時代からずっと普通だった、右左の区別がなくなったこと。左右べつべつの木型を作った上にハイ ヒールまで作るのは面倒過ぎるとされてしまったのです。それ程ヒールが重要視されたとも言えますが、その後ヨーロッパで再び左右別々の靴をみるには、19世紀半まで待たなければなりません。

the picture above : the portrait of Louis XIV by Hyacinthe Rigaud

Wednesday, July 22, 2009

ヘアスタイリストことはじめ

日本語で言うところの床屋は古代から存在しました。
17世紀になると、床屋はそれまでどおり外科・歯科医として働く傍ら(中世からそうでした)、カツラ作りも始めます。しかしこれは現在の床屋とほぼ同様、男性による男性のための職業でした。
対する女性はどうしていたかというと、床屋の女房や娘、或いは召使いや侍女に、自宅で髪を結わせていました。

そこに何故、唐突に男性のヘアスタイリストが現れたのかは分かりませんが、1640年頃にシャンパーニュ(本名、詳細不詳)と呼ばれた、欧州初の女性のための男性美容師がパリで絶大な人気を博するようになります。

彼の顧客リストにはフランス王室のお姫様方が名を連ね、ことに1645年にポーランド国王に嫁いだマリー・ルイーズ姫は、シャンパーニュにポーランドまで付いてきてくれるように頼んだほどです。

シャンパーニュのいちばんの功績は、美容師というものを職業として打ち立てた事でしょう。
彼自身は大変わがままで癇癪持ち、気に入らないことがあれば髪を半分やりかけのまま、顧客の家を去ったりするので、人気がある半面、敬遠する人もいました。そういうわがままを嫌ったり、余りに高額なサービスう受けられない女性が多くいたがために、パリの街に初めて、女性美容師による公共の美容院が作られました。顧客はお店をスタイリングの為に尋ねるようになったのです。
これによってスタイルの変化、新しいスタイルを作り上げる事の重要性が生まれました。以後、女性のヘアスタイルはめまぐるしく変化し始めます。

picture above from 20,000 Years of Fashion

Tuesday, July 21, 2009

ウェディングドレス


詳しいことはともかく、作ったドレスは無事に花嫁さんに着てもらえました。

希望により、エンパイアスタイル、総シルクでサテンの上にシフォンを2枚重ねた贅沢なドレスです。
最初デザインの段階では、花嫁さんのお母様は「妊婦さんに見えないかしら?」と心配顔でしたが、意外なほどすっきりしたシルエットには納得いただけたようです。