そもそも何故このブログを始めたかというと、とあるQ&Aサイトでよく見られる質問に答え始めたことがキッカケです。ここにもひとつ。
男性も髪を伸ばす文化はあちこちにありました。中国の弁髪とかネイティブアメリカンとか中近東、南アジアあたりとか。日本もそうでした。古代には男性も長髪が当たり前でした。
新約聖書の頃になると、男性の長
髪は恥ずかしいことだ
という記述があります
。でも女性の長い髪は
頭をおおうものとして
許されています。イス
ラム教でも男性の長髪
を許す宗派もあり、そ
の逆もあり。でも女性
は長い髪を保つのが常
識。アフリカの一部で
も女性の豊かな長い髪
は、健康で丈夫な体の
現れと見られるとか。
女性の長髪は豊かさ、
豊穣の現れという考え
方は、何となく説得力
あります。子供を産み
育てることが仕事でし
たから。
キリスト教自体に髪の
長さに対する決まりは
なく、新約聖書の時代
にあらわれる西洋の男
性の短髪は、ローマ人
が推奨したものです。
このローマ人の習慣は
、帝国の拡大によって
取り入れられた、どこ
かの異端の文化です。
それより以前の古代ギリシャあたりだと、奴
隷は髪もヒゲも剃って
おり、逆に一般男性に
とっての長髪は富や権
力の象徴であり、人前
で長い髪をくしけずる
のも当たり前だったり
しました。
その後のヨーロッパで
も(多分ルネッサンス
あたりから)男性の長
髪は普通で、後にはカ
ツラを使うほど認めら
れてました。このカツ
ラ(長髪)はやはり富
や権力の象徴でしたか
ら、フランス革命後に
廃止されます。
前置きが長くなり
ましたが、イギリス市
民戦争でクロムウェル
派は、当時の宮廷の習
慣である長髪(カツラ
を含む)に対抗する意
味で、髪を短くしてい
ました。この短髪派(
ピューリタン)の人た
ちが勝利を納め、アメ
リカ大陸にも渡り、男
性の短い髪を広めてい
ったと考えられていま
す。男性の短い髪は各国の植民地にも広まったと考えると、現在の男性の短髪は、煎
じ詰めれば西洋の影響
です。
歴史的には革命派の髪
型だったらしいのです
が、いまでは男性の長
髪の方が反社会的と見
られてますよね(笑)
Picture above : Self Portrait (1500) by Albrecht Dürer
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