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Friday, February 5, 2010

誰が、何時、何故パウダーを使い始めたのか

18世紀、髪やカツラにパウダーを使い、白っぽく見せたことは今までにも書きましたが、今回はそのきっかけに付いてです。

使われ始めたのは1730年代でしょうか。ルイ14世の死後、男性のカツラが簡略化されてゆき、より軽く着け易いものへと変わっていき、地毛とカツラを両方使うスタイルがこの頃に流行り始めました。

この絵の男性の前や横の髪は地毛で、後ろは見えませんが、よくある結んだスタイルのカツラになってるはずです。日本髪のカツラでも顔のまわりは地毛を使う半カツラがありますが、それと同じ感じとでも言いますか。
これですと生え際が不自然でなく、確かに以前の長髪のカツラように重たくもなく着けやすかったのですが、カツラの髪の色と自分の髪の色が一致しないのが問題でして、それをごまかすためにパウダーが使われ始めました。ですので初めに使い始めたのは男性です。

始めた人は分かりませんが、当時のヘアスタイリストの誰かが考えついたのかもしれません。カツラと地毛の境目を目立たなくする方法として、有名なスタイリストと宮廷の誰かとが結託して始めれば間違いなく流行したはずです。

女性も同時期にヘアピースを使い、よりボリュームのあるスタイルを作るようになっていきましたから、色の違いをごまかすのには有効だったはずです。19世紀に入ると、パウダーは廃れますが、女性のヘアピースは使われ続けます。その、時には違い過ぎる髪の色についての当時の記述もありますので、パウダーで白っぽくしてしまうのはとても良い方法だったと言えます。

もう一つ、この時代はおしろいが流行りました。女性はもちろんのこと、男性も使い、日焼けしない貴族的な肌の色を作り出すのが流行り、それに伴い、白い肌に合うブロンドやプラチナブロンドの髪がもてはやされたのです。それが白い粉を好んだ理由でしょう。

さらに、当時は髪を洗う習慣が無く、匂いもかなりのものでした。そこで髪粉にラベンダーやオレンジ等の香料を加えたり、パステルカラーにしたり、様々な工夫もされ始め、一時代を作り上げたわけです。

Monday, August 24, 2009

なぜ男性は髪が短いのが当たり前なのか?

そもそも何故このブログを始めたかというと、とあるQ&Aサイトでよく見られる質問に答え始めたことがキッカケです。ここにもひとつ。

男性も髪を伸ばす文化はあちこちにありました。中国の弁髪とかネイティブアメリカンとか中近東、南アジアあたりとか。日本もそうでした。古代には男性も長髪が当たり前でした。
新約聖書の頃になると、男性の長髪は恥ずかしいことだという記述があります。でも女性の長い髪は頭をおおうものとして許されています。イスラム教でも男性の長髪を許す宗派もあり、その逆もあり。でも女性は長い髪を保つのが常識。アフリカの一部でも女性の豊かな長い髪は、健康で丈夫な体の現れと見られるとか。
女性の長髪は豊かさ、豊穣の現れという考え方は、何となく説得力あります。子供を産み育てることが仕事でしたから。

キリスト教自体に髪の長さに対する決まりはなく、新約聖書の時代にあらわれる西洋の男性の短髪は、ローマ人が推奨したものです。このローマ人の習慣は、帝国の拡大によって取り入れられた、どこかの異端の文化です。それより以前の古代ギリシャあたりだと、奴隷は髪もヒゲも剃っており、逆に一般男性にとっての長髪は富や権力の象徴であり、人前で長い髪をくしけずるのも当たり前だったりしました。
その後のヨーロッパでも(多分ルネッサンスあたりから)男性の長髪は普通で、後にはカツラを使うほど認められてました。このカツラ(長髪)はやはり富や権力の象徴でしたから、フランス革命後に廃止されます。

前置きが長くなりましたが、イギリス市民戦争でクロムウェル派は、当時の宮廷の習慣である長髪(カツラを含む)に対抗する意味で、髪を短くしていました。この短髪派(ピューリタン)の人たちが勝利を納め、アメリカ大陸にも渡り、男性の短い髪を広めていったと考えられています。男性の短い髪は各国の植民地にも広まったと考えると、現在の男性の短髪は、煎じ詰めれば西洋の影響です。
歴史的には革命派の髪型だったらしいのですが、いまでは男性の長髪の方が反社会的と見られてますよね(笑)

Picture above : Self Portrait (1500) by Albrecht Dürer

Friday, August 7, 2009

カツラ(periwig)のその後

カツラに特別な思い入れがあるわけではないのですが、再度言及してみたいと思います。

以前述べましたが、カツラはフランスの王政廃絶とともに実質的に無くなりました。カツラは大変な贅沢品で、貴族の象徴のようなものでしたので、フランス貴族が着用したがらなくなり、加えて廃止論が高まり、国によっては(イギリスなど)税金をかけたりしたからです。しかしまったく無くなってしまったわけではなく、その後19世紀から続く伝統として、法廷などでは今でも使われてます。1823年まではイギリスとアイルランドの国教会主教も着用していました。法廷や教会はカツラ税の心配はいらなかったんでしょうね(笑)

フランス革命まではカツラは、貴族の身だしなみであると共に、特権階級の社会的な身分の象徴でもありました。それが法廷という特殊な場で、法を司るものの地位を示す道具として生き残って行ったのです。カツラに黒い法服の裁判官その他が前にデンと構えていると、向かい合う人々の気分はやはり改まるものではないでしょうか。とは言うものの、カツラかぶってふんぞり返ってもったいぶった姿は面白おかしくもあり、ほぼ必然的に、「お偉方」を意味する茶化した言葉(bigwig)もあります。

今でも法廷でカツラを使う国はUK、その連邦国、それに返還後の香港でも使ってます。オーストラリアの一部、ニュージーランドは廃止しましたが、現在の裁判官のカツラは18世紀中頃のスタイルを模したもので、その頃の「カツラは正装の一部」の意識は未だに続いているわけですね。

picture above portrait of Colbert villacerf, 1685

Monday, October 13, 2008

まだまだカツラ談義













(image from The Picture Collection, NY Public Library)

カツラが使われ始めたそもそもは、まあ今と同じで何となく薄くなった部分を隠したりするためでしたが、なぜここまで流行したかについては実は昨日まで知りませんでした。

もう何年も前に購入した(でもロクに読まない)、 "20,000 Years of Fashion" (著者:Boucher)と言う本によると、1633年頃にルイ13世が病気で脱毛してしまった事がキッカケとのこと。これは著者がフランス人ですし、信憑性はあるかと思います(少なくとも私が今まで見た中では一番信頼できます)。

ルイ14世は初めは、せっかくのフサフサの地毛を剃ってしまうのが嫌で、カツラは被らないか、被っても地毛そっくりのものばかりだったようです。ついに頭を剃ってしまい、カツラに徹することにしたのが1672年、父親(13世)が死んでほぼ30年、彼自身が33~4歳の時でした。

余談になりますが、昔の人は髪を洗わなかった。これは汚いことのように思えますが、実はそうではなく、髪の毛自体に一種の浄化能力(?)があり、現在私たちが思うほど汚くはなかったと言う人がいます。

とあるイギリスの科学の先生が、実際に髪を洗わない実験(?)をしてみたそうです。
洗わなくなった当初は気持悪くてたまらなく、2週間程でもつれてぐしゃぐしゃになった。ところがそれを過ぎると、髪の毛自体が持つ油分のせいで艶が出て、非常に良い具合になったとのこと。

「猫がお風呂にはいらなくてもいいのと同じだよ」・・と言いますが、舐める代わりに、毎日きちんと櫛を通せば、何ら問題はなかったといいます。つまりは、髪を洗うことがこの自然の浄化能力を奪ってしまい、またすぐに洗わなければならなくなる、悪循環に陥るようです。

Wednesday, October 8, 2008

さらにカツラについて〜パウダー〜

何故かカツラから始めてしまったブログなので、取り合えずもう少し。

パウダーについてです。髪粉と呼ばれるようですね、日本語では、スターチが使われましたが、安いものには小麦粉が混ぜられてました。流行に至る理由は、当時ブロンドが流行ったが、ブリーチが上手くいかなかったからだとか。

ほとんどの場合が白い粉でしたが、淡い色付き(ブルー、ピンク、パープル、イエロー)の他、黒もあったようです。匂いはラベンダー、オレンジ、匂い菖蒲の根など。

当然粉だらけになるので、服をカバーする必要があったのはともかく、ちょっと使わないで放っておいたカツラが、鼠の巣になるなんて事も。。

当時のカツラの利点に、シラミの駆除があったにもかかわらず(取り合えず短髪の地肌は痒くならない)、鼠を寄せ付けるのでは意味がない、ということで初めっから白髪のカツラが作られるようにもなります。
或いは面倒を省くため、18世紀も後半になるとカツラ自体あっさりした形に変化しますが、長髪の地毛にパウダーを使う男性も現れました。

カツラそのものが廃れたフランス革命後も、髪粉を使う人は19世紀前半までいました。多くは年配の人だったようなので、前世紀の習慣を変えようとしなかった人たちでしょう。

当時のカツラの為の髪は、女性なら地毛を十分に伸ばしておいて、それをカツラに使う事もありましたが、各地、各国への買出しも頻繁に行われました。

Wednesday, October 1, 2008

カツラについて


periwig (ペリウィグ)と呼ばれるものです。

使われ始めたのは16世紀でしょうか。よく見るエリザベス一世の肖像画の赤毛は実はカツラです。彼女はおしゃれでした。

着用が一般的になり始めたのは17世紀初めから中頃でしょう。髪が薄くなって来た男性が、見た目を良くするために使い始めましたが、当時は今のような洗髪の習慣がなく、毛じらみが大変だったので、衛生的でもあり徐々に広まっていきました。

これを公式に宮廷の服装の一部と定めたのがフランスのルイ14世です。フランスは当時ヨーロッパ文化の中心でしたので、この「人前ではカツラ必須」は他の国へも一気に広まっていきます。

当時のカツラのスタイルは、ルイ14世やバッハの肖像画に見られるように、クルクル長くてボリュームのあるものでした。地毛は剃るか、短くするか。ロンドンのNational Portrait Galleryにたしか当時の男性の肖像画で、カツラ無し、短髪のものがあります。かなりプライベートな、人前には出さない姿なので、画家と親しかったとか、自室に飾るためのものだったたとか想像出来ます。

素材は人毛がもちろん一番ですが、それだとお値段もバカ高くなるので、貧乏だけれども貴族としての体面は保たなければならないような人の為に(笑?)馬やヤギの毛で作られたものもありました。
髪粉(パウダー)はスターチなどの粉が使われていたので、気を付けないと鼠の絶好のすみかになりました。

18世紀に入ると男性のスタイル(アマデウスは良い例です)はもっとシンプルになりますが、女性も使用し始めます。が、フランス革命後に廃止に向かいました。パウダー(ラベンダーなどの匂い付きや、ピンクやブルーの色付きもあった)を多用したりして、贅沢な生活の絶頂期のものでしたから。

化粧室のことを「パウダールーム」と呼ぶのは、このパウダーから来ています。